「食べてみたら、けっこう旨いやん!」
1980年代後半、楽天地をはじめとした数々のもつ鍋店が福岡に軒を連ね、もつ鍋が福岡都市圏ではそれなりに知名度の高い料理となりました。

1990年代前半、東京を中心に突如としてもつ鍋ブームが巻き起こりました。
仕掛け人は東京の飲食店ディベロッパーだとか大手広告代理店だとか諸説ありますが、いずれにせよ日本の一地方都市の庶民的鍋料理が全国規模で認知されるきっかけとなる一大ムーブメントでした。

9回〔1992(平成4)年〕日本流行語大賞

hqdefault年間大賞【きんさん・ぎんさん】

銅賞【もつ鍋】
「もつ(牛、豚、鶏の内臓)に、ニラとキャベツを入れて煮込むだけの素朴で荒々しい料理「もつ鍋」が全国的にブームとなった。井上は銀座にもつ鍋店をオープンし、ブームのきっかけをつくった。OLのオヤジギャル化により、「ゲテモノ料理」に抵抗がなくなったとの指摘もあるが、グルメだと大騒ぎしていたバブル時代の反動で、安くて栄養があっておいしいという料理の原点に戻っただけともいう。」

当然、そのもつ鍋ブームの噂は親父の耳にも入っており、実際に東京進出を持ちかけられることもありました。
「具体的に東京へ進出する前に、まずはその地をこの目で見てから決める」そう考えた親父は、その足で東京へ出向き、街や人の流れを確認し、当時行列ができるほど流行っていたもつ鍋店で食事もしました。

その結果親父の感想は・・・。

「もつの味が、ぜんぜんちがう。」

もちろん、純粋な博多風もつ鍋を提供している店もあるにはありましたが、ごく少数であり、「博多のもつ鍋」がメインストリームになるとは思えない状況だったのです。
世間はバブルに踊っていた時期。東京進出ともなればかなりの投資が必要であり、それなりに繁盛する店作りが要求されます。
東京在住の福岡出身者からも「ぜひ東京に店を出してほしい」という要望も店には届いていました。

当時、もつを食べるという食文化が全国的に、急拡大しすぎていて、もつの供給が追いついていない状態でした。もつは、美味しく食べるには、まず第一に鮮度。次に下処理、洗浄が重要です。この3つの1つでも欠けると、もつ鍋は美味しくなりません。

「福岡にしか店がないけん博多名物やろうもん!」

親父は、もつやスープ、具材へのこだわりを貫けば貫くほど東京では通用しないことを悟り、東京への進出を回避したのです。

■ブームはあっとう間に去っていく。蜃気楼のように!

空前のもつ鍋ブームにのり、福岡限定で、天神本店、西中洲店、博多駅前店、博多駅東店、大名店、北天神店、西新店の7店舗と楽天地も急拡大していきました。

ただ!!!!
ブームはあっという間に去りました。
まるでバブルのように!
まぼろしのように!
一発芸のように!

1994年には、東京でも、もつ鍋店の撤退のニュースがおどり、福岡でも、次々と、もつ鍋店の閉店が相次ぎました。

もつ、ホルモンはもつの質を吟味したうえで、鮮度、下処理、洗浄と、手間をかけて美味しく食べることが出来る食べ物です。

その要因をわたしなりに考えるに

  1. 粗悪品・冷凍品の横行により、もつ鍋自体が美味しくないものと認識されてしまった。
  2. 下処理などの手間をかけられておらず、臭いと思われた。
  3. 飽 きられた(笑)

数年がたったころには、楽天地も閉店が相次ぎ、4店舗になっていました。
見事なまでに、もつ鍋は下火になっていったのです。
流行が終わり、もつ鍋は、また、福岡でしか食べれない郷土料理にもどったのです。

「たかがもつ鍋、されどもつ鍋」

親父がたまにつぶやいていました。
「美味しいもつは、一度食べたら、はまる人はクセになるもんね~」

ブームは去りましたが、従来から、楽天地のもつ鍋を食べて、クセになったお客様にささえられて、博多名物のもつ鍋として、地力をたくわえていった時期でした。